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ペースノート・オブ・テイン

あのドライバーを探せ

「神奈川を制する者は全国を制す」
そう称されるラリー王国・神奈川で1980年代初頭、ずば抜けた才能を誇る二人の若者がいた。
二人の名は市野諮と藤本吉郎。当時はまだお互いライバルチームのコ・ドライバーとドライバーだった。
それでも、お互い強烈に意識するものがあった。直接会話は無くても、その走りが、その速さが、激しく主張しあった。
「あのとてつもなく速いヤツ、藤本ってドライバーは、どこにいる?」
全日本に活躍の舞台を移した市野は、所属するチームから自分の相棒となるドライバーを探すように言われた。迷わず、友人に藤本の連絡先を尋ねて電話をした。藤本の走りは、市野の記憶にあまりにも鮮烈に焼きついていたのだった。
「俺と一緒に全日本に出てみないか?」
もちろん藤本は快諾した。半ば敬意の念を抱いていた市野からの誘いを、断る理由は何一つ無かった。
「常に冷静で情報収集力のある市野さんなら、すべてを任せられる!」
───すべては、ここから始まった。

俺たちの手でショックを

「どのサスペンションもダメだ!」
共にラリーに出場する市野と藤本は、大きな問題に直面した。
「俺たちの走りに耐えてくれるショックアブソーバが無い…」
当時、二人が乗る車両にはラリー用のショックアブソーバなどは無く、色々な車種の物を流用してのチューニングにも限界があった。
二人は考え、そして決断した。「世の中に無いのなら、自分たちでショックアブソーバを作ろう!」
そんな熱い想いから市野が興した会社の名前は「テイン」。藤本も当時勤めていた会社を辞め行動を共にし、そこから市野との二人三脚が始まった。
「ラリーをやっているショップに営業に行って店長を口説いて、注文がもらえたら材料を買いに行き、図面を書いて加工から組立まで、全部を自分たちでやった」と二人は当時を振り返る。
7坪の工場兼事務所の、三角形の狭い部屋で、
「早く二人で海外のラリーにバンバン出場しようぜ」と、夢や理想を語りあう毎日。忙しいながらも、
市野と藤本は受注生産とラリー参戦を心の底から楽しんだ。
「すごいショックを作るヤツらがいる」
二人が作った製品の評判が、こう日本中に駆け巡るまでそう時間はかからなかった。